人生とは

小学生のとき、隣の席の女の子に「人生ってなんだと思う?」と聞かれた。

俺はしばらく考えてから、「人が生きること」と答えた。

しらけた空気が漂い、「つまんなーい」と言われた。

後で話を聞いたら、その時その女の子の中で"名言ブーム"が来ていて、俺にもなにか名言を言わせたかったらしい。

俺は高二の文理選択では文系を選んだが、基本的な考え方は理系だ。

俺の中での理系と文系の定義は

理系=再現性のあるものに価値を見出す

文系=再現性のないものに価値を見出す

である。

俺は再現性のある人生を生きたい。

半永久的に何度も繰り返せる幸せが欲しい。

幸せな状態を確定させたい。

毎日フカフカの布団で寝るために、天気という不確定要素には頼らない。

布団乾燥機という確定要素で、フカフカの布団で寝られる確率を上げる。

俺の人生は、幸せになるための確率の計算、の積み重ねである。

しかし、この合理的な生き方はときどきとても息苦しい。

すべての選択が結果からの逆算であり、望み通りの結果が出ても、「計画通り」としか思えない。

デスノートのキラみたいになってしまう。

逆に望まない結果になると、「どうしてだよ」と絶望する。

やっぱりデスノートのキラみたいになってしまう。

今のところ俺が、この文章内の比喩表現でデスノートのキラを使う確率は100%である。

だから俺の人生には、お笑いと、お芝居と、音楽と、詩と、花が必要だ。

ガチガチに凝り固まった理系思考を破壊してくれる、不確定要素が必要だ。

1秒ごとに変わる、先が読めない、再現性のない幸せが必要だ。

「客を舐めるんじゃねえよ」と言いたくなるお笑い。

「今日来なきゃよかったわ」と言いたくなるお芝居。

「なんでこんな音楽で耳痛くならなきゃなんねえんだよ」と言いたくなるライブ。

「意味わかんねえよ」と言いたくなる詩。

いつ散るか分からない、いつ枯れるか分からない花。

数々の不確定要素が、俺の確率の計算を強制的に停止させる。

100回に1回でも、「マジで今日来てよかったわ」と、ひとり原付にまたがりヘルメットをかぶりながら口に出してしまう瞬間があれば、俺の人生はきっと幸せだ。

あれから20年が経った。

隣の席の女の子の質問に、今ならなんて答えるか考えてみる。

人生とは、「少しだけストーリーを変えられる小説」だ。

もう飽きている読みかけの小説の、まだ読んでいないページは、少しだけ書き換えられる。

少しだけ不確定な小説だ。