死にたい夜にかぎって
3年ぶりに投稿する。
死にたくなると、あなたを思い出すのはなぜだろう。
彼女ができた。
仕事が見つかった。
家が見つかった。
でも、やっぱり、死にたい。
このために生まれたんだと思うことを、俺はまだ見つけられない。
俺はまだ、俺の人生に納得できない。
今日、母親とごはんを食べた。
殺したいほど憎んでいる相手だ。
俺の苦しみの99%を作った人だ。
それでも子供は、親を愛してしまう。
親は子供を作れるけど、子供は親を作れない。
親は子供の代わりを作れる。
子供は親の代わりを作れない。
子供にとって、親は絶対の存在だ。
親と子の非対称性を、親を知らない。
親と子は対等じゃない。
子は圧倒的に弱者だ。
俺は頭が良い。
俺は天才だ。
そうやって、自分の脳みその世界に引きこもって生きているほうが楽だ。
でも、他人に会いたくなるのはなぜだろう。
生身の体で、同じ景色を見たいと思うのはなぜだろう。
俺が死にたいと思うのは、俺が生きているからだ。
2021年3月27日の下書き
いつ死んでもおかしくない人を目の前にしたとき、俺にできることはなんだろう。
生きていてもらうために、俺にできることはなんだろう。
なんで俺は、生きていてほしいと思うんだろう。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html#
厚生労働省の2009年の調査によれば、日本人の15歳から39歳までの死因の一位は、自殺だ。
これを読んでいる15歳から39歳までのあなた。
あなたが気をつけたほうがいいのは、"不慮の事故"でも、"悪性新生物=ガン"でも、"心疾患"でもない。
"自殺"だ。
時間を巻き戻してみる。
自ら死を選ぶ人に、こう聞いたらなんて答えるだろう。
「生まれてきたかったですか?」
少し想像しただけで、答えが出た。
これは愚問だ。
本当は誰だって同じだ。
誰だって、いつ死んでもおかしくない。
自分の意志とは無関係に、生まれる。
自分の意志とは無関係に、喉が渇く。
自分の意志とは無関係に、腹が減る。
自分の意志とは無関係に、体は生きようとしている。
あなたがどんな意志を持とうが、あなたの自由だ。
同じように、俺がどんな意志を持とうが、俺の自由だ。
俺はあなたを死なせない。
俺が納得できればいい
要は俺が納得できればいい。
錯覚だとしても
俺が納得できればいい。
誤謬(ごびゅう)だとしても
俺が納得できればいい。
俺以外の77億人が納得できなくても
世界人口推計2019年版:要旨 10の主要な調査結果(日本語訳) | 国連広報センター
俺が納得できればいい。
俺が俺の人生に納得できればいい。
僕が死のうと思ったのは
2019年8月31日 NHK Eテレ
僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ
秋
秋が好きっていう話を何回も聞いてるからか、俺も秋が好きになってきた気がする。
今日くらいの気温が一年の中で一番好きだ。
やじろべえみたいに、暑いと寒いが釣り合っていて心地良い。
あと何日かで一気に寒いに傾くと思うと、今がとても贅沢な時間に感じる。
うちから歩いてすぐの所に植物園がある。
ちょっと歩くとでかい自然公園がある。
だいぶ歩くとばかでかい植物庭園がある。
春は沈丁花、夏はクチナシ、秋は金木犀、冬は梅の花の香りをかぐのが好きだ。
すーはーすーはーして、知らない人から変な目で見られるのもそれはそれで楽しい。
覚醒剤よりよっぽど気持ちいいしキマると思う。覚醒剤やったことないけど。
6月頃になると、植物園でラベンダーのポプリを買う。
これがまたとんでもなく良い香りだ。
大麻よりよっぽど飛べるしチルだと思う。大麻やったことないけど。
来年はラベンダーのポプリを自作したい。
作り方覚えたら、好きな花のポプリをばんばん量産したい。
ちなみに、雨の降り始めの匂いはペトリコール
雨上がりの匂いはゲオスミンって言うらしいです。
都会でも田舎でも同じ匂いらしい。
人生とは
小学生のとき、隣の席の女の子に「人生ってなんだと思う?」と聞かれた。
俺はしばらく考えてから、「人が生きること」と答えた。
しらけた空気が漂い、「つまんなーい」と言われた。
後で話を聞いたら、その時その女の子の中で"名言ブーム"が来ていて、俺にもなにか名言を言わせたかったらしい。
俺は高二の文理選択では文系を選んだが、基本的な考え方は理系だ。
俺の中での理系と文系の定義は
理系=再現性のあるものに価値を見出す
文系=再現性のないものに価値を見出す
である。
俺は再現性のある人生を生きたい。
半永久的に何度も繰り返せる幸せが欲しい。
幸せな状態を確定させたい。
毎日フカフカの布団で寝るために、天気という不確定要素には頼らない。
布団乾燥機という確定要素で、フカフカの布団で寝られる確率を上げる。
俺の人生は、幸せになるための確率の計算、の積み重ねである。
しかし、この合理的な生き方はときどきとても息苦しい。
すべての選択が結果からの逆算であり、望み通りの結果が出ても、「計画通り」としか思えない。
デスノートのキラみたいになってしまう。
逆に望まない結果になると、「どうしてだよ」と絶望する。
やっぱりデスノートのキラみたいになってしまう。
今のところ俺が、この文章内の比喩表現でデスノートのキラを使う確率は100%である。
だから俺の人生には、お笑いと、お芝居と、音楽と、詩と、花が必要だ。
ガチガチに凝り固まった理系思考を破壊してくれる、不確定要素が必要だ。
1秒ごとに変わる、先が読めない、再現性のない幸せが必要だ。
「客を舐めるんじゃねえよ」と言いたくなるお笑い。
「今日来なきゃよかったわ」と言いたくなるお芝居。
「なんでこんな音楽で耳痛くならなきゃなんねえんだよ」と言いたくなるライブ。
「意味わかんねえよ」と言いたくなる詩。
いつ散るか分からない、いつ枯れるか分からない花。
数々の不確定要素が、俺の確率の計算を強制的に停止させる。
100回に1回でも、「マジで今日来てよかったわ」と、ひとり原付にまたがりヘルメットをかぶりながら口に出してしまう瞬間があれば、俺の人生はきっと幸せだ。
あれから20年が経った。
隣の席の女の子の質問に、今ならなんて答えるか考えてみる。
人生とは、「少しだけストーリーを変えられる小説」だ。
もう飽きている読みかけの小説の、まだ読んでいないページは、少しだけ書き換えられる。
少しだけ不確定な小説だ。